トラッドマンに憧れて

自分なりのトラッドスタイルを模索する30代のリアルな服・靴・時計etc…について

もはや死語!?「ユニバレ」という考え方について思うこと。

ユニバレという言葉を聞いたことはありますか?

 

若い方にはあまり聞き馴染みがなく、もはや死語のような扱いかもしれませんが、私のような30代以上の方ならピンときますよね。

 

意味はそのままで、自分が着ている服がユニクロだとバレてしまうこと。

 

今回はこの「ユニバレ」について思うことを書いていこうと思います。

 

【関連記事】

tradman-dc.com

tradman-dc.com

tradman-dc.com

 

 

ユニバレ誕生の経緯

f:id:dacchi37:20210925142819j:plain

1989年生まれの私ですが、物心がついた頃には既にユニクロの店舗が実家のすぐ近くにありました。地元がユニクロ生誕の地・山口県とは関門海峡を挟んでお隣だったいうこともあり、当時としてはかなり早い段階での出店だったようです。でも90年代中頃のユニクロはまだまだ発展途上、今のように大々的にTVCMが放映されるようなこともなかったので、幼い私にとっては「地元のお洋服屋さん」程度の認識でした。

 

f:id:dacchi37:20220112150507j:plain

そしてこちらは当時のユニクロのロゴ。会社の後輩にこのロゴについて一生懸命説明しても全く伝わらず、ジェネレーションギャップを感じたことがありましたね(笑)。これいつまで使われてたんでしたっけ?

 

このなんともいえないロゴからは、後に世界的なアパレルメーカーへと成長を遂げることになるなんてなかなか想像出来ませんが、あることがきっかけでユニクロは大きく飛躍します。そうフリースの大ヒットです。

 

今でもユニクロの定番品として愛されているフリースですが、94年に販売開始され、98年頃から年々売上を伸ばし、2000年には年間2600万枚(!?)の売上を記録します。当時のユニクロは海外進出前なので、これは純粋に国内のみの数字です。本当にとんでもないですね。確かに私の実家でも1人1着は持っていました。

 

ユニクロはフリースの記録的大ヒットにより、日本中誰もが着ている、まさに国民的アパレルメーカーの地位を手にしましたが、その反動も大きなものでした。

 

90年代中頃まで、ユニクロは現在のSPA(製造小売業)の業態ではなく、他ブランドの商品も取扱うセレクトショップに近い形をとっており、「おしゃれな服屋」とまでいかずとも若者をターゲットにした無難な服屋という立ち位置だったようです。ライトオンとかが近い存在かもしれませんね。

 

ところがフリースを始め、ユニクロの服はあまりにも幅広い世代に普及しすぎました。ファッションに敏感な若者は小さな子どもや、服に全く興味がないおじさん、その他大勢と同じ服を着たくないと反発します。物の良し悪しなんて関係ない、とても浅はかな考えですが、正直その気持ちも理解出来ます。

 

そして次第にユニクロ=ダサい」という図式は若い世代の共通認識になっていきました。それが2000年代前半~中頃の話。当時中学生・高校生だった私は、もろにその影響を受けていましたね。

 

とはいえ、ユニクロの洋服はどれもベーシックで、手に入りやすことから、実際は皆どこかでお世話になっていたものです。ひっそりとバレないように。

 

32歳、ユニクロと向き合う

f:id:dacchi37:20210731131232j:plain

バレてはならない存在のユニクロでしたが、いつしか服好きの間でも受け入れられるようになりました。

 

ジル・サンダークリストフ・ルメールなど有名デザイナーのコラボや、SNSを通してインフルエンサーが発信する好意的な意見、そもそもデザイン自体が以前より洗練された・・・等々、考えられる要因は色々とありますが、ユニクロを忌避することがナンセンスとされる時代へと変わったのです。

 

むしろ今の若い方にとって、ユニクロやGU、しまむらといった所謂プチプラブランドをいかに上手く着こなすかということが関心事で、隠すどころか自ら積極的に発信しているようにすら思えます。「これ、実はGU何だよー」みたいな感じで。たった10年程で凄い変わり様ですね。

 

では、ユニバレ文化が青春時代に直撃した私のような30代以上の人はどうでしょうか?

 

これはあくまでも私自身の話ですが、世間の反応の変化もあり、ユニクロだから恥ずかしいという感情はほぼなくなりました。実際にブログ上でもユニクロのアイテムを取り入れたコーディネートを度々載せています。恥ずかしいと思うならこんなことしませんよ。

 

でも下の世代の方と決定的に違うことがあります。それは決してコーデの中心にユニクロを据えることがないということ。具体的にいうとアウターやパンツ、夏場のトップスです。ブログ内でエクストラファインメリノウールのニットを頻繁に取り上げているのもコーデの主役とはなりえないからこそです。

 

テーラード物は別として、ユニクロにも目を見張るようなアウターやパンツはいくつかあります。何万も出さずに、別にユニクロで良くないか?と思う瞬間も確かにありますよ。それでも手を出さないのはシンプルに気分が上がらないから。

 

理屈では良い物と分かっていても、多感な時期に忌み嫌っていた存在を「気分が上がるor上がらない」という感情的な面ではいつまでも受け入れられないでいます。

 

少し分かりにくい書き方で申し訳ないですが、外側(他者)に対しては恥ずかしさはないので、ユニクロの服を着ていることを公に出来るのに、一方で内側(自分)に対してはユニクロを完全に受け入れることが出来ないので、コーデの中心に持ってこれないということです。

 

なので、同世代以上で「良いモノは良い」と一切の邪念なしでユニクロ製品と向き合っている方は、先進的だなと感心するばかりです。素直に尊敬しますね。

まとめ

先日、たまたま見ていた某ファッションインフルエンサーの動画内で「モノは良いけど、デザインの個性が強すぎてユニバレしてしまう」的な発言があり、そういえばユニバレなんて言葉久しぶりに聞いたなと、このテーマで記事を書いた次第です。

 

改めてユニクロに対する自分の考え方を整理して、赤裸々に書いてみましたけど、なんか少しみっともない感じになっちゃいましたね(笑)。でも似たような人も結構いるんじゃないですかね。

 

今回は以上です。