トラッドマンに憧れて

自分なりのトラッドスタイルを模索する30代のリアルな服・靴・時計etc…について

着なくなった服はどうする?身近な人に譲るという選択肢について。

昨年もたくさんの服を買いました。今年こそはと被服費を抑えるつもりですが、それでもそれなりに服を買うのでしょう。ただ保管スペースは限られていて、遠の昔にその上限にも達しているので、新しいアイテムを迎え入れればそれと同等数を手放さなくてはなりません。服好きの誰もが抱え悩みですね。

 

その問題を解決するためには「捨てる」か「売る」という手段を取ることが一般的かと思いますが、今回は第三の選択肢「譲る」ことについて述べてみようと思います。

 

結論だけ先に申し上げると価値のある物を選び、着用機会が少なくなれば大切に使ってもらえる誰かに受け継いでもらうことこそが真のエコロジーだということです。

 

 

服好きなら目を逸らせない環境問題

本来の私は決して環境意識の高い人間ではないのですが、服好きとして環境問題に目を背けることはできません。ご存知の通りファッション業界では大量生産大量破棄やマイクロプラスチックの海洋流出など課題は山積みです。

 

ではそれらの問題に対して私が何をするのかというと、使い捨てではなく長く着られるアイテムを選ぶようにすること、極力化学繊維の服は手に取らないようにすることの2つぐらいでしょうか。とはいえこれらの行動は個人的な趣味嗜好による部分が大きく、そこまで環境問題を考えたものではないというのが正直なところですが、結果としてはそういった行いも意味があると思います。さらに踏み込むのであれば、再生繊維の積極的使用や生産過程(配送含む)において環境負荷の低減に取り組む企業を選び商品を購入するという意識を持つべきなのかもしれません。

 

しかしながらどんなに環境意識を高めたところで新しい服を買うのが服好きの性です。「良い物を長く着る」というは当然大切にするべきことですが、服好きこそ「気分」という曖昧な感情に左右されやすく、「これぞ一生モノ」と意気込んで購入した一着も気が付けばあまり手に取らなくなったなんて経験も一度や二度ではないでしょう。

 

私自身を例に挙げると着丈が2cm短い、裾幅が1.5cm細いといった理由で着なくなった服は確かにありました。好きだかたこそ普通の人が気にも留めない微妙な違いが気になってしょうがないんですよね。それで結局新しい服を買って、結果着なくなった服を処分せざるを得ないのです。

 

そこで今回は服を手放す手段にスポットを当て話を進めていきます。       

 

私には歳の離れた弟がいる

私には年の離れた弟がいる。といっても実の弟ではありません。彼は妻の弟、つまり義弟にあたります。私と妻は年が5歳離れているのですが、妻と義弟は13歳も年が離れているので、私と義弟だとその差は18歳となるわけです。 

 

初めて合った時はまだかわいい小学生だった義弟も春には高校3年生になります。そして奇遇にも身長が私と全く同じ数字で止まったこともあり、最近では着用機会の減った服を譲るようになりました。今季だとライダースとコートを1着ずつ譲っています。現代っ子らしくオンラインゲームに熱心な彼は今のところファッションにそこまで頓着はなさそうですが、何かを持って行く度に随分と喜んで、そして実際に日常的に着てくれるので譲り甲斐があるってものです。 

 

言ってしまえば兄から弟へのお下がりでしかないのですが、服の扱いに関しては丁寧な方だと自負しているので、年数の割りに状態は悪くはないかと思います。またちょっとした「気分」によって着なくなっただけなので、世間一般でいうような時代遅れになってしまったアイテムでもありません。強いこだわりのない人であれば普通に着られる服ですね。まぁ、高校生には少し贅沢な物のような気もしますが・・・。

 

着なくなったとはいえ愛着のある服なので、こうして目の届く場所で活躍を続けてくれるのは何かと感慨深いもですね。それに少しずつ義弟がファッションに興味を示しているのも嬉しい。受験生になるので余計な刺激はしませんが、大学に進学したらこっち側に引き込んでやろうと思わなくもないですね(笑)。

 

捨てるよりも売る、売るよりも譲る

さて、ここからが本題です。冒頭でも触れた通り、一般的に服を処分する手段は「捨てる」「売る」「譲る」のどれかになると思いますが、それぞれの利点と問題点について考えてみましょう。       

 

まずは「捨てる」から。燃えるゴミの日に出せば良いので処分するとうい観点でいえば最も効率的ですが当然エコじゃない。また捨てるにしても衣類を分別してリサイクルする手段も一般的になってきましたが再生するにも限度はあり、またその過程で生じる負荷を考慮すればトータルで必ずしもプラスになるとは限らないという話も聞きます。服の終着点は捨てること他ならないのですが、やはり安易にその道を選ぶべきではありません。 

       

次に「売る」です。セカンドストリートを筆頭に近年多くのリユースショップが台頭したことで、随分と服を売るハードルは低くなってきています。買取値はたかが知れてますが、ほぼ何でも買い取ってくれますからね。捨てるよりも罪悪感は薄れるような気はします。でも何でも買い取ってくれるものの、それらが何でも売れるわけではありません。やや高めの値付けでスタートして、売れなければ徐々に値下げ。そしてシーズン終わりまで買い手が付かなければ廃棄です。常に買取り続けるビジネスモデルなので、売り場や倉庫の兼ね合いもあってよほど価値のある物でなければ翌シーズンに持ち越されることはありません。いったい買い取った服の内どれぐらいが廃棄されてるのでしょうか。こんなの誰が買うんだよって服も店頭にはたくさんありますよね。    

 

 一方でメルカリなどの個人間取引は事情が違います。リユースショップに持ち込むように何でも売れるわけではありませんが、売った先には必ず引き取り手が存在します。ひとまず売れたら誰かが使い続けてくれる可能性はぐっと高まりますね。ただ、買い手の素性までは分からないので、どのように扱われるかまでは確認しようがありません。もしかしたら1~2回だけ着てゴミ箱行きかもしれません。ただただ良い人に買ってもらうことを願うばかりです。

 

そして最後は「譲る」に関してですが、当然最もハードルが高いのはこれです。私の場合義弟という貰い手がいましたが、皆が皆そのような人物が身近にいるとは限りません。どうしても服なので性別・年齢・体格・趣味・価値観など様々な条件に合致する必要があります。ただ幸いにも譲り先として相応しい人が見つかるのなら「捨てる」「売る」よりも「譲る」という選択肢をおすすめします。

 

その理由は私のような自己満足は別として、環境の側面から見ても意義があるからです。(なお、ここでの「譲る」は無償で身近な人に供与することを念頭に置いていますが、金銭が発生しても意味合いとしては同じものとして扱います。)

 

先程メルカリなどの個人間取引では引き渡し後の取り扱いまで確認しようがないと述べましたが、それが身近な人に譲るのであれば話は変わってきますね。別に監視するわけではありませんがある程度はその服の行く末を見守ることはできるはずです。トレーサビリティ的な考え方です。また人となりも分かっているので、どのように服を扱ってくれるのか信用もおけます。      

 

一方で受け取る側からしても前所有者の顔がはっきりと分かるので、単なる物としてではなくその背景も引き継ぐこととなり無下に扱うわけにはいかないでしょう。少なくとも全く知らない人から貰うよりは大切にしてくれるんじゃないですかね。

       

ただ、当たり前ですが何を譲るべきかはしっかりと吟味が必要です。いらない物を恩着せがましく渡されるほど迷惑なことはありませんからね。当の私も義弟に譲る際には彼の年齢やライフスタイルを考慮した上で状態が良くそれなりに価値のある物を選らぶようにしています。そのため着なくなった服でも義弟に譲るのはほんの一部で大抵はリユースショップ行きです。

       

 メルカリでの出品はどうも煩わしくて・・・。でももしやるならブログと連動して読者の方に引き取って貰えるような場を作りたいなとぼんやりと考えています。お互い顔は分かりませんが全く繋がりがないわけではないですからね。

 

まとめ

何も考えずに捨てるより、誰かが買ってくれる可能性にかけて売る。知らない誰かに売るよりも信頼できる身近な人に譲る。その方が大切に長く使ってもらえる見込みが高く、結果として環境問題にもちょっとだけ役立つよというお話でした。

 

 

 

とはいえ結局のところ自分自身で10年20年と着続けられることが一番であることには違いないので、曖昧な「気分」に左右されない確固たる軸を手にしたいものです。

 

今回は以上です。